お花と、お茶のお稽古

茶道・裏千家

利休七則 茶道から学ぶ「おもてなし」

   

一、茶は服のよきように点て

「服」とは、飲むことを意味します。
「服のよきよう」とは、飲んだ人にとって「調度よい加減」という意味となります。つまり、自分の点て易いように点てること戒めているのです。但し、これは単に客の好みに合わせろということではありません。その時・その場所での客の気持ちを察し、「よく考えて点てるように」ということです。
「事をおこなうには、相手の気持ち・状況を考えて。」

二、炭は湯の沸くように置き

「炭」は木炭のことですが、これは単に「湯が早く沸騰するような炭の置き方」を云々しているのではありません。「置き」とは、「湯の沸くよう」にするための行為全体の象徴的表現といえます。
つまり、点茶における準備の重要性を説いているのです。客前で茶を点てる場合、火力が一定でないと水の量や釜蓋の開閉で温度の加減ができません。そこで一番大切となるのが、最初の火の調節(最良の炭の置き方)ということになります。全ては「湯の沸くよう」に火力が維持されて、初めて加減が成立するわけです。
「準備・段取りは、要となるツボを押さえて。」

三、花は野にあるように

ここで注意したいのは、「あるように」ということです。「あるままに」ではないのです。つまり、その花が咲いていた状態を感じさせる姿に生けることを促しているのであって、咲いていた状態を再現することを望んでいるわけではありません。たとえ、その場に何輪も咲いていたとしても、一輪でそれを表現できれば「あるように」ということになります。また、余計なものを省く程、受け手の想像にふくらみが生まれます。
「ものの表現は、本質を知り、より簡潔に。」

四、夏は涼しく冬暖かに

実質的に快適な「夏は涼しく冬暖か」を求めている部分はあるでしょう。しかし、本質はより深いところにあり、たとえ皮膚感覚的にそれが叶わなくても何かしら工夫をこらし、「涼」や「暖」を感じさせるようにすべしとの教えです。例えば、水や氷またはそれらを連想させるものは触れなくても「涼」を、火や日またはそれらを連想させるものは当たらなくても「暖」を、音や色から感じさせます。
「もてなしは、相手を想う心で。五感を使って、工夫して。」

五、刻限は早めに

ここで言う「刻限」とは、「時刻」に対する意識・認識を指します。つまり、それを「早めに」とは、常に自分の中の時計の針を進めておくということです。いかなる場合でも、現実の時間よりも自分のイメージの時間が常に先行していれば、その時差が心の余裕となって、焦りを防止してくれます。焦りがなく平常心でいることは、ゆとりを持って人に接するためにとても大切なことです。
「ゆとりは、自らの心掛け次第である。」

六、降らずとも傘の用意

一言でいえば、備えを怠らない心掛けを説いていることになります。但し、自分の心配を消すという自分目線でのことではなく、招く側が客に対しておこなう気遣いをいっているわけですから、他者に対する思いやりを持つ意味になります。ここで言う「傘」は、現在とは異なった状況になった時に初めて必要になる物の象徴です。つまり、その時他者に「憂い」を持たせないため、自分が不測の事態を想定しておくことが大切なのです。
「備えは、万人の憂いを想定して。」

七、相客に心せよ

「相客」とは同席した客をさし、「心せよ」とは気を配りなさいということです。これは読んで字の如く、同じ場所に居合わせたら、お互いに気遣い、思いやる心を持つように、と説いているのです。これこそが、茶の湯の真髄といえましょう。
そもそも「茶」とは、どんなに良質の素材を用いて最善の製法で作り、それを丁寧に点てたとしても、「心」の裏打ち無しでは、単なる嗜好の産物で終わってしまいます。互いに気遣い・思いやる「心」を持つがゆえに、「茶の湯」は単なる趣味の域を超えた世界を有しているのです。
これはまた、「一期一会」の精神が根底にあるからともいえます。「見馴れた物にも新鮮な気持ちで、親しい関係にも等閑な態度をとらずに、その縁を大事にする」ということです。初めて会った人を気遣うことは日常においても当たり前、むしろそうではない人にも同じように気を配るのが真の意味でしょう。
「何事に接するにも、無垢な心で。素直な態度で。」

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